歌舞伎座とお稲荷さんの祟り

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歌舞伎座の呪い…29階建ての「歌舞伎タワー」に建て替えたことによって祟りが起きている…という噂があります。
最近では四代目 市川 猿之助さんの自殺未遂でこれまた祟りか呪いかと騒ぐ方もいるようです。

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歌舞伎座の歴史

東京都中央区銀座に位置する歌舞伎座は、1889年の開場以来、日本伝統芸能の舞台として親しまれてきました。五代目に至るまで四度の建て替えが行われ、現在では29階建てのビル「歌舞伎座タワー」を併設した複合施設となっています。

現在の歌舞伎座の変遷

ここでは現在の歌舞伎座が「歌舞伎タワー」になるまでの歴史や変遷について紹介します。

  1. 1990年代初頭: 松竹は、老朽化が進んだ第四期歌舞伎座(1950年竣工)の建て替えを検討開始。一時期は劇場をビルの中に取り込む案が検討される。

  2. 2005年: 「歌舞伎座再生委員会」が設置される。座長には伊藤滋が任命され、彼らは「建て替え+超高層オフィス棟」を提案する新たな案を導き出す。

  3. 2005年以降: 建設を担当することになった三菱地所設計・隈研吾建築都市設計事務所は、新たな歌舞伎座の設計に取り掛かる。これには、第四期歌舞伎座のイメージと優れたホール音響を継承しつつ、劇場機能を向上させるという目標が含まれていた。さらに、背後に高機能なオフィスタワーを併設するという課題も与えられていた。

  4. 設計期間中: 第四期歌舞伎座の全ての部分を徹底的に調査。その結果、多くの人々に親しまれてきた第四期歌舞伎座の正面前庭から大間を経て客席・舞台に至る空間構成を維持する一方で、舞台上部にタワーを重ねるメガストラクチャー構造を採用。これにより劇場の各エリアを拡張し、機能性を高める新たな手法を開発。

  5. 2013年4月2日: 建て替え工事が終了し、新たな歌舞伎座タワーと歌舞伎座が融合した複合施設「GINZA KABUKIZA」が開業。

旧歌舞伎座と人柱の祟り

歌舞伎座は2013年の建て替えの前にも太平洋戦争で焼失し、再建しています。東京大空襲ですね。

年代 イベント
明治22年(1889) 歌舞伎座が開場。江戸時代からの由緒ある地に古典演劇の殿堂として建てられる。
大正10年(1921) 漏電による火災で全焼。
大正12年(1923) 関東大震災で罹災、再建工事が一時頓挫。
大正13年(1924) 鉄筋コンクリートを使用した耐震耐火、桃山風外観の日本式大建築として再建竣工。
昭和初期 戦争が拡大しても、一流の演目と舞台機構を駆使して話題となる興行を続ける。
昭和19年(1944) 「決戦非常装置要項」に基づく高級劇場の閉鎖命令を受け、興行を中止。
昭和20年(1945) 空襲で焼失。
昭和26年(1961) 歌舞伎座が再開場。

昭和20年に空襲で焼失してから昭和26に再開場し軌道に乗るまでに下記の5名の歌舞伎役者が亡くなっています。

  • 15代目市村羽左衛門(享年70、1945年(昭和20年)5月6日没)
  • 12代目片岡仁左衛門(享年63、1946年(昭和21年)3月16日没)
  • 7代目松本幸四郎(享年78、1949年(昭和24年)1月27日没)
  • 7代目澤村宗十郎(享年73、1949年(昭和24年)3月2日没)
  • 6代目尾上菊五郎(享年63、1949年(昭和24年)7月10日没)

当時、この五人は歌舞伎座の建て替えに「人柱としてなくなった」と噂されました…が、今こうやって時系列で見てみると、みなさん高齢ですし戦後すぐの経済状況を鑑みると「祟りか?」とは思います…。

歌舞伎座タワーの祟りと人柱

さて2013年に再建した「歌舞伎座タワー」…この時も有名な歌舞伎役者が亡くなって、同じく歌舞伎座の祟りなんて言われています!

  • 5代目中村富十郎(享年81、2011年(平成23年)1月3日没)
  • 7代目中村芝翫(享年83、2011年〈平成23年〉10月10日没)
  • 4代目中村雀右衛門(享年91、2012年(平成24年)2月23日没)
  • 18代目中村勘三郎(享年57、2012年(平成24年)12月5日没)
  • 12代目市川團十郎(享年66、2013年(平成25年)2月3日没)

中村勘三郎さんはかなりお若いですが、その他の方はかなり高齢ですね。
また、怪我をされたかもいますね。

  • 2010年10月 市川海老蔵暴行事件
  • 2012年8月 市川染五郎転落事故
  • 2012年11月 市川段四郎、片岡仁左衛門体調不良

歌舞伎座の呪い、お稲荷さん

歌舞伎座には古くからお稲荷さんの神社が祀られていました。五穀豊穣や商売繁盛を司るお稲荷さんは、多くの客を迎える歌舞伎座にとって必要不可欠な存在でした。役者やスタッフも定期的にお参りしていました。

歌舞伎稲荷神社 | 施設案内 | 歌舞伎座

この歌舞伎座のお稲荷さん…建て替えの時は下記のように移動したようです。

  1. 第四期劇場解体 : 歌舞伎稲荷の御霊と御神体を安全祈願祭と共に仮事務所に移転。損傷が甚だしいお社は修復し保管。

  2. 建て替え期間中 : 歌舞伎座事務所内に神棚を設け、関係者と一緒に毎月神職によるお祓いを実施。

  3. 第五期歌舞伎座の歌舞伎稲荷神社 : 地上階にお社を配置。方向と位置は以前と同様を優先。お社に御霊と御神体、神使を戻す「遷座祭」を執り行った。

  4. 現状 : 初日と千穐楽に「奉告祭」、例年二月に「午祭り」、秋に「安全祈願祭」などを実施し、興行や劇場の安全、近隣の平穏を祈願している。

お稲荷さんの祟り

このお稲荷さん、しっかり祓いやご祈祷して移設したのですが、元は劇場脇に祀られていたもので、

地上下階に移設されたが、歌舞伎座の後ろがタワーになったのでビルが邪魔してお社に降りられず神様が怒っている

と言われて「お稲荷さんの祟り」があると噂されています。

歌舞伎座タワーの呪いと祟り

新歌舞伎座が完成し、新たにお稲荷さんが祀られた時点で、祟りが鎮まることを期待した人々もいましたが、その後も舞台上の事故や関係者の急逝が続き、祟りが落ち着いていないとの噂がさらに高まりました。

地下に埋めてあった「要石(かなめいし)」

この歌舞伎座タワーの呪いや祟りの原因として有名なのが「要石」です。「要石」は地震を鎮めるための霊石で、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮、千葉県香取市の香取神宮、三重県伊賀市の大村神社、宮城県加美町の鹿島神社に存在しています。

多分、ここでいう要石は「その土地を守る霊石」的な意味合いなのだと思います。歌舞伎座の下にも巨石があったのかもしれませんね〜。

イチョウの木を切った呪い

歌舞伎座が建て替えの際に守り神だったイチョウの木を伐ったために呪われている…というのも有名なものです。
歌舞伎座は建て替え前は銀杏の木が、植えてあったのでそれを建て替えのとき位邪魔になるので切り倒したようです。

亡くなったスタッフの慰霊を行ってない呪い

これは本当かどうか非常に眉唾ですが、スピリチュアル界隈では非常に有名な某美輪氏が「いじめられた端役、亡くなられたスタッフやお二階さん(スタジオでの副調整室)の慰霊碑を早急に作った方がいい」とラジオで話されたとか…。

背面のタワーが風水の運気の流れを遮断している

29階建ての複合施設、歌舞伎座タワー…三菱地所設計&隈研吾建築都市設計事務所が作った非常に機能的で近代的なビルです。
この巨大なタワーが、霊脈を乱して運気の流れをおかしくしているので、呪いや祟りのようなことが起こるというものです。

歌舞伎座の呪いと祟りとは何か

歌舞伎座タワーの呪いと祟りについてご紹介しました。
歌舞伎座は前回の建て替えの時にも有名な役者さんが亡くなっているんですね。そして今回も…。
東京はレイラインや龍脈が非常に複雑に絡んでいますので、何かあるのかもしれません。

 

コメント 読むとモチベーションアップ

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